あえて京都を見つめる機会があり、記憶?記録として書きます。
私は生まれも育ちも京都です。学生のころは、大阪の合衆国のような環境で育ち今に至ります。日本の中で近畿圏内から集待っている少しずつ文化の違う若者が集う場所であり、その当時はその違いに戸惑うことも多々あったように記憶しています。
時が移り還暦間近となった今、思い返してみるとその時の環境がとても新鮮で、日本でありまながら世界での生き方を小さく経験できる特別な場所だと感じるのです。
先日、あるきっかけで侍に扮して観光ボランティアの学生さん達と活動する機会を得ました。
その活動を推進されている諸先輩型と一緒に侍になりきろうとしてる自分。そこは非日常的。ある種のフロンティアスピリッツのような感情が湧いてきたのです。また幕末の志士のように。
京都の名所を練り歩き学生さん達とも話している中で、SAMURAIという言葉がちらほら聞こえ出し、徐々にその世界に溶け込んでいったのです。
気がつけば姿勢は強制され、着物の歩幅であるく所作が自然にできるようになっていた??のです。「なりきればなりきれる」のです。
そのなりきり男に拍車をかけてくれるのが観光に来られた諸外国の方々。
一緒に写真に収まりながらカタコトの「ありがとう」を、彼らの母国語(なんとなくわかる範囲て〉で小さく返してる侍に扮した自分。更に必ずお辞儀してくれる彼ら。とても感激するとともに侍の所作が自然に世界を一つにしてくれる新たな発見をしたのです。
世界からこの地に来てくれる彼との出会い。世界を身近に感られるこの瞬間が、大阪で学んだ世界だと教えてもらったのです。一緒に活動した学生さん達も同じ学びを後々感じてくれるならばなおのことよろしいと。
KYOTOが結びつけてくれるこのご縁をたいせつに歴史的な1ページを人生という長編作品に追加できることが嬉しく楽しくオモロく感じれる一時。
大事にしたいと思います。