古き良き時代

こう書くと、今が悪いように思われるかもしれませんが、決してそういう事ではありません。今の生き方と過去の生き方は違うということです。

私が生まれた時には既にテレビ、洗濯機、掃除機、自動車、電話はこの世にありました。概ね生活に困らず、とても便利なものが沢山あったと思います。小学校から帰ると毎日野球をして遊び、夜は勉強して寝る。朝ごはんもしっかり食べて学校に行き中学になるとクラブ活動もして1日を終える。時々学校帰りに遊ぶ。こんな時代でした。

自然に動き回る生活。知らない事は人との会話の中から知る、わからなけば辞書で調べたり、図書館で参考書籍を借りたり、まぁいろんな方法で知ろうとしました。

社会人になってその生活が始まっても、会社のデスクには英和辞書、国語辞典、現代用語の基礎知識を入れておき、わからない用語がでれば調べるというルーティンでした。✳︎他に知恵蔵やイミダスもあったかも。

1980年代にパソコンが少しずつ利用されるようになっても、それは変わらず。

その時は突然やってきました。インターネットの出現です。

インターネットを利用することが常、メールでのやり取り、ネットで検索するとGoogle先生がなんでも教えてくれるようになりました。そして先生がかわりGPT先生になって時代が変わろうとしています。

車も同じく、内燃機関からハイブリッド、EVに変わり昔は自動車メーカーしか作れなかったものが、IT関連企業が車を作り、スマホにタイヤがついて走る時代になりました。

時は移り変わり、より便利により合理的に、より情報量が多い世界となりました。現代の情報はとても洗練され生成されるのです。まさしく情報の海ができたのです。その海には大小の波があり、その波にうまく乗ること、上手なサーファーになることが、これからを上手に生き抜くのでしょう。

冒頭にも述べましたが、私が生きてきた時代はとても変化に富んいます。これから更に時代のギアが上がります。古い考えを新しい考えにバージョンアップしなければなりません。温故知新という言葉が昔からある通り常に新しきを知る好奇心、体力、能力and脳力が求められます。

古き良き時代を踏み台に新しきより良き時代とすべく、これからを生きていきたいと思います。

ここからは余談ですが、今、少し古い車に乗っています。5ナンバーサイズなので、幅もせまく小さな車です。中古で購入後、エンジンが止まる、窓が落ちる、サスペンショントラブル、エンジンがかからなくなる事などさまざまなトラブルがありました。古くなると経年劣化もするし仕方がないことはわかっていたつもりです。わかっている事とはいえ、いざ動かなくなるととても不安になり、安全安心な車が当たり前だと思っていた自分はこの車を乗り続けられだろうか??と考えさせられた時期がありました。その後、向き合い方をかえてみました。車と会話するように丁寧に乗る事を心がける。少しでも時間があれば水で洗わずタオルで優しくふく。エンジンがかからなけばトランクをあけ、車の体内に風を通してやる。かならずかかると会話してゆっくりキーを回す。そうすると車が息を吹き返します。

そして気が付きました。車にも命があり乗り手とのコミュニケーションを楽しんでいるんだと。人間に限らずあらゆるシーンでコミュニケーションはとても大事だと。

最新のコンピュータ制御された車も素晴らしいと思う反面、会話ができる少し古い車も古き良き時代の一員として、これからの時代をともに生きるパートナーとして、大切にしていきたいと思う今日この頃です。

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